自分のカラダの重さの質



母乳育児の支援の話がきっかけだったので
その例で解いてみる。




自分は、たとえミルク全盛だとしても、
トラブルでもない限り、母乳でいっただろう、ずっと。
もし、10人中9人がミルクで、他の何の情報もなくて、
医者や親やまわりの先輩にイロイロ言われ・・・なんて状況なら、
ちょっと “ チキン ” だから(笑)、
ビビッて、しぶしぶミルクにするかもしれないけどね。


それは、どこでもオッパイより、哺乳瓶の用意のほうが、
自分にとっては、面倒すぎることだからなんだ。
哺乳瓶の消毒をいちいちやって、
粉を量って、お湯を適温に冷ましてといて、
持ちながら飲ませる、なんて。
やったことないし、記憶にも残っていないし。
そのときだけの、未知の、新しい道具を用意して、
自分の生理的欲求とも全然関係なく、覚えなきゃいけない、なんて。
そういうことには、カラダが向かっていかないのだ。
オッパイだってあげたことがなかったけれど、
自分のカラダにもとからついていたものだからね。
どうにでもできる感じがするんだよね。最初から。


やりはじめるまでに、とても時間がかかる。
ほんとうにギリギリまで、手がつけられない。


ギリギリで、どうしてもやらなくては、となってから、
マニュアルの類いはあまり読まずに、最低限の説明だけでやっとはじめる。
「う~んやっぱり、こうやって冷ませば良かった」だとか、
体感できてから、より良い方法を調べはじめる。
調べはじめると、だんだん、ノッてくる。
その途中で、より使いやすい道具をみつけたりすると、
そりゃ~もう、しつこい人になってくる。
使いながら、常に、「もっとこうだったらいいのに」をみつけだす。
使い方も、自分流にアレンジしはじめる。


そしてとってもイタイところなんだけど、
そういう自分だとわかっているくせに、
「もっとはやくから調べておけば良かった、一度使ってみておけば良かった」
なんてそのときになって言ってみたりする。
「そうすれば、最初からもっとうまく使えたのに」
ああ・・・。違うよねえ!!(笑)



もし、10人中9人がミルクだとしても、まずは、
“ 母乳でも良いハズだ(なぜならば、自分は母乳の方がとっつきやすいからだ) ”
ということにつながる情報を、そりゃ~もう、しつこく探すだろう。
ミルクのつくり方を覚えた方がずっと早いであろうに。
そして、ちょっとでも手がかりを得られたなら、
たとえばそれが、片道1時間以上かかる助産院の情報だったとしても、
より実感を得るべく、そこを尋ねる行動に移す。
自分なりに納得できたなら、行動に移るのもはやい。
そのときには、頭がその道をたどることでいっぱいになっているからね。
まわりの人と違っていても、やっちゃうんだ。



そのぐらい、
未知の、自分の感覚でピンとこない物事に関しては、
疑り深く、カラダが重い。



運動は得意な方だったし、瞬発力も、少なくとも幼少時はあったけれど、
そういうふうに重かったんだなぁ、と気づいてしまった。
面倒くさがり、というのとも、ちょっと違うよな。




仕事でも、慣れるまでは、あまり自分から手を挙げず、
じっと観察しながら、いろいろと自分の尺度で計るんだよね。
それで、全体が把握できるようになってくると、
今度は、「もっとこうしたほうが良いのでは?」なんていうことに
こまごまと気がつきはじめてさ。
黙っていられなくなって、どんどん手を出しはじめる。
でも、ど真ん中からではなくて(笑)。
書類や道具の整理整頓だとか、
人と人の間のスレ違いが気になって交通整理はじめたりとか、
手順を表にして整理してみたりだとか、
ちょっとひいた位置から、全体がよくみえるようになる作業から、なんだ。
それで、環境が自分の安心できる状態に落ち着いてくると、
ようやく本筋の仕事にとりかかる気になれる。


ところが。
そうなってくると、その整理術が評価されちゃったりして、
気がつくと、そういう方面でのまとめ役になっていたりしてね~。




ああ!
この気づきを深めれば、自分のちぐはぐさのナゾに迫れるゾ。
イタイから、そこに迫りたくなかったんだ。今までは。
そして、なぜイタイと思うのか、というところに、
こわばりのナゾが潜んでいる。
それがはっきりわかれば、カラダの重さを、
意志でもう少しコントロールできるようになるのでは!?


こわばっていなかったときもあった。
それはまだ、広大な世界がみえていなかったからだ。
余計なことに振り回されるようになって、
落ち着かなくなっているときは。
広大な世界の中での自分を見つめることを、
避けているんだなあ、きっと。