授乳期間の大切さを、オッパイ騒動で振り返る



3歳になって、ボウズは、
なにかと落ち着かないときや緊張しているとき、
指を口にくわえることが多かった。
それは数ヶ月で落ち着き、今度は、
3歳4ヶ月ぐらいで、自分のオッパイ(乳首)を
触り出すようになった。


カッコ悪いけど、書いちゃうもんね!ふっふっふ。(笑)
…で、思い出したことが。


ちょうど、その少し前、
おフロあがりの鼻そうじだとか歯磨きの仕上げで、
赤ちゃん抱っこの姿勢のとき、
オッパイの話題になることがあった。


「オッパイ・・・えへへ。」
「オッパイがどうしたの?」
「飲みた~い……?」
「じゃあ、飲んでみる?」
「うん・・・ソファで。」


とかなんとか言うので、おもしろいから
ソファですっかり体勢もととのえて、
さあ飲もうか、とやってみると。
照れ笑いを浮かべながら、「みないで」と言いながら、
口をつけるかつけないかぐらいまでやって、
「やっぱり、飲まな~い。」でおわり。
それが数回続いたんだ。
だいたい、仲良しの子が遊んで疲れて、
オッパイ飲んで寝ちゃうのをみてきたあとかな。


はじめの1回だけは、か~さんは、
ちょっとジカジカとして、
あ、カラダが反応している、とわかって、
これまた感慨深かった。
でも、それっきり。


半年前まで、あんなに頻繁に飲んでいたのに、
やっぱりもう、なにか違うな、って。
我々の中では、オッパイの役割は、
それなりにちゃんとカタがついていたんだな、と思ったよ。


「もっと飲みたかったの?」
「うん、ぜ~~んぶ、のみたかった。」
それもたぶん、ほんとうなんだろうな。



オッパイをやめたきっかけは体調不良だったけど、
そこで思ったのは、
「母乳が子に悪い影響を与えている」
ということでは、決して、なかった。
ただ、子にも、オッパイをあげ続けているということにも、
依存してはいけない、と気づいたんだよね。
授乳トラブルのほとんどなかった自分にとっては、
オッパイをあげ続けることは、比較的簡単なことだったから、
それでごまかしていることが、きっとあったんだ。
自分は自分をもっと気づかわなくては、とも強く感じたしね。



「犠牲にしている」なんて、少しも思っていなくたって、
自分事を、子がいることによる制限と混同していることが、
たぶん、無意識にあったんだ。
自ら望んで育児中心を選んだからなおさら、
そうなることがすごく嫌で、
そういう思いには、フタをしていたのかもしれない。
覚悟が足りない自分を、認めたくなかったのかもしれない。



子がいることで制限されることなんて、
まったく、ない。
・・・物理的にではなく、本質的には。
制限をかけているのは自分だ。


でも、刷り込みのように、思いグセのように、
カラダから、どうしようもなく、
型にはまっていたということもあるかもしれないな、と。
もしかしたら親の代、先祖からの繰り返しで。
あきらめ感をともないながら…。
母子だけで悶々としてしまうと、そこからは抜け出せない。
知識をいくらいれてもダメだ。


自分が気づけたのは、いろいろなケースに実際に触れ、
自分の体験も外に出す交流の場があったからだと思う。



まわりの大半の例のように、
1歳ぐらいで授乳をやめようと思わなかったのは何故か。
それは、誰かに言われたからではなく、
自分の中で納得したものがあったからだ。
でも、いつまであげるのか、については、
あやふやだった。
「いつまで飲むんだろう?」と、
ちょっとしんどく思うことだってあった。
そこに、矛盾が、無理があった。


それに気づいて、次の段階に行くときだ、と思えたんだよね、たぶん。
だから、ボウズも応えてくれたのかな。


気づきは別として、思い直して、
またそのまま、授乳を続けるという手もあっただろう。
でも、あのときの我々にとっては、精一杯の、無理のない流れだった。
ここのところの「オッパイ飲みたい」騒動で、
そのことがしっくり確認できた感じなんだ。
また、確認するときでもあったのかな。



内弁慶で、怖がりで、慎重派で、
なにごともゆ~っくり、のボウズ。
もしかして、「ぜ~んぶ」オッパイを飲んでいれば、
手に口をつっこむことも、乳首をさわることも、
なかったかもしれないが。


「オッパイ(自分の)さわっちゃった、さわってもいい?」と
聞いてきたボウズに、そっと、「お家でね。」とささやいた。
「お家でだけにする!」と笑顔のボウズ。
ま、このぐらいですんでいるんだから、いいんじゃない、っと。



小学校ぐらいまで飲ませつづけるという人は、
オッパイのことだけではなく、その他のことも、
それなりに構えができているのだ。


生活の他のこととのバランスが全然とれていないのに、
オッパイだけ自然にしようったって、それはまた不自然になるだろう。


むかし動物園で、キリンの授乳をみたときのことも思いだした。
自然界のキリンは、生後2ヶ月ぐらいですぐ草を食べられるようになり、
単に栄養としての母乳の役割はそれほど長くないのだけれど、
母キリンの側をウロついている間、1歳~1歳半ぐらいまでは、
なんだかんだ、ちょこちょこ飲んでいるという話だった。
でも、動物園のキリンの子は、牛のミルクを、ボトルで飲まされていて。
それは、動物園の母キリンからは、乳が出ないからだったんだ。
乳だけを自然にすることは、やっぱり無理があるんだよね。


そのあたりのバランスは、それぞれの母子、
それぞれの家庭環境で、まったく違ってくる。


誰かに言われたから飲ませ続けるのも、
誰かに言われたからやめるのも、
実際に飲み、飲ませる母子には、無理が出る。
そこは、自分たちの感覚と意志で決めることだ。


それって、生きることすべてにつながるよなあ、やっぱり…。
授乳生活は、はじめの一歩、かつ、すごく濃密な学びの場だなぁ。