すこしずつできるようになっている



手をはなしてあぶなげなことをすることが
ちょこちょことでてきたボウズ。
慎重派だから、3歳すぎてやっと…という感もあるけれど
ボウズにしては、自然なペースなんだよね。


できるようになったこと・・・
カラダの機能が対応できるようになった動きは
すぐに試し、なんども反芻する幼子たち。
手足の動きが徐々に大きくなり、
カラダ全体の動きもだんだん、大胆になり、
ついに新しい動作を自分のものとする。


そして、昨日までできなかったことができたら、
また何度もそのできた感触を確かめ、
しっかり味わっている。


大人もきっと、そういうふうに
毎日すこしずつできるようになっていることがある。
同じ動作を繰り返しているようでも、
なにか変わっていることがあるはずだ。


「いつまでたっても上達しない」
「がんばっているのに成就しない」
と思っているようなときは、ただ、そのわずかな進歩を
味わっていないだけなのかもしれないなあ、と思ったよ。


ほんの少し進歩したときには、
気持ちが、つぎの段階に向かっている。
考えていた「目標」が、
そこに少し近づいたとたん、
もうすこし先の目標に変わってしまうのかもしれない。


それに気づかずに、
ほんの少しでも進歩した自分を認めずに、
いつまでたってもできない…と、
先を、さらにその先を、
追ってしまっているのではないかなぁ。


いつも山越えを目指す必要はないのだ。
…歩くはやさで。