人は人にしてもらったことをする



腰痛でたくさん愛をもらった。
こういうときにさりげなく手を出せる人って、
きっとこれまでに、そういうやりとりをたくさん重ねて
育ってきたんだろうなあ。


そういうことって理屈じゃないから、
どんな人間関係を結んできたか、
人とのつながりをどうとらえているか、
じわじわ~っと背景がにじみでるよね。


受け取るほうもイイ年だから、
そういう良い雰囲気をまとっているのは
なんだかピンとくるってもんだ。


とっても、とっても、ありがたかった。
そして、そういうふうに愛をくれる友人ができて、
自分も少しは、同じような何かが
出せるようになって来ているのかなあ、
こわばらない関係が広がったのかな、
なんてうれしくも思った。


そういう関係にとっても敏感なのは子どもたち。
鋭い視線で見抜いちゃうよね。
母たちのやりとりを、はっきりと感じている。
母がしたことも、きっぱり覚えている。
染みついてゆくんだろうなあ。


思ってもいないことを理屈でしつけても
子どもには通用しない。
人は、人にしてもらったように
また人につたえていくのだ。


なんて、自分の行動をふりかえってみたり、
これからを思ったり。