刺激は全身の感覚が欲している



退屈な気分というのは、なまりそうな感覚の悲鳴なのかも。


泣き声でない声を出そうとしはじめたころ、
大きな声を出してみたり、歌うように伸ばしてみたり。
唇をふるわせてみたり、舌を出してみたり。
ノドや口の中の感覚に驚いているかのよう。


歩きはじめたころ、段差をみつけては何度も行ったり来たり。
鍛えているとしか思えないこの行動。
使えるようになった足の感覚をたしかめているかのよう。


はじまりは、
目にうつるものの動き、耳から聴こえる音の振動、
肌にふれるもののなめらかさやざらつき、
そういう凹凸を感じるところから・・・
カラダの機能はみがかれてゆくのだろう。


最近どんどん言葉も増え、力も増し、
複雑な動作も難なくこなすようになってきた子をみるにつけ、
遊びで覚えるカラダの使い方、感覚の鍛え方を思う。


このしなやかなカラダの声を
安易な刺激でごまかしてはならない。
スイッチや動く画面に飛んでゆくのは、
それが好きだからではないよね。