イロイロなのがほんとうなのだ



一番ぷっくぷくの女の子、
まだおっぱいばかりで、ゴハンは吐いちゃうんだって。
お母さん、髪がすくなくてちょっと心配してる。
ゴハンもたくさん、おっぱいそこそこ、の男の子は、
体型も標準的で、もう数歩はつかまらずに歩けそうな感じ。
でもお母さん、歯がまだぜんぜんみえない、と気にしてる。
そして、ゴハンも好きになってきたみたいだけど
まだまだおっぱいはかわらずのやせっぽちの息子、
活発にもなってきたし表情もゆたかになっているけど、
ハイハイもつかまり立ちもしない。
いわゆる発達グラフからすっかりはずれちゃったし、
夜中の授乳が増えたのがちょっと気になる・・・。
でも髪はフサフサ、歯は上下とも3本目がのぞいている。


というのは、同じころ産まれたお母さんと子のお話。
このあいだ久々に話をして、思った。
おなじゼロ歳○ヶ月の子、
でもそれぞれ、見た目も違えば行動も違う、
イロイロいろいろ、なのだ。


近所や親戚の子をみることもほとんどなく、
大勢でよってたかってみているわけでもない、
母と子の時間がほとんど。
せいぜい父、たまにくるじいじ・ばあば、、、
保育園に入れているひとだって、
園での時間は見守れないのだから
集団のなかの行動や他の子のことはみていないわけで。


地域の遊び場や育児サークル、いちばん
他の子とお母さんのありようをかいまみられる。


母と子になりがちなのは、わたしたち、二世代目かもしれないけれど
違うのは、やたらと、出所ふたしかな情報があふれていることかなあ。
子が産まれるまで自分も、ついつい、そういう情報を気にしちゃう生活だった。


雑誌に書かれていたりするのと
目の前で実際に動いているそばにいるのと
おなじことでも
全然ちがって感じられるもの。
実際に、イロイロな、元気そうな子をみていると、
そして、それぞれ違う “ ちょっと足りない ” ことを気にする
お母さん同士で話をしていると、
ちっちゃな心配なんてどうでもよくなる。
子の笑顔が信じられる。


街で声をかけてくれる大先輩の声も、
ちょびっとですごくありがたいときがある。
ヨダレでびっしょびしょだったり、
ベビーカーのバーをしゃぶってる子に、
“ ヨダレの多い子は丈夫なのよ~~ ”
とか、
“ 髪の毛フサフサね~、お母さんの栄養が良かったのね~ ”
とか、
このさい、ほんとうかどうかなんて
どうでも良かったりする。


地域の役割、家族の役割ってそんな感じかな。
つぎにつないでいけるといいな。