産後一ヶ月とちょっと



一転して、おむつ替えと乳まみれの日々。
・・・悪くない。


赤子の湿疹を気にして調べたり、
むせたり苦しがるのをみて乳やりを工夫したり。


ちょうどひと月ほどで、
性格と価値観が正反対なぐらい違う実母と大ゲンカしたり。


誰もが通る道を歩んでいる。



あこがれの(?!)、おてんとう様と共に起き、
よく食べ、よく流し・・・という生活を満喫中。
おてんとう様とともにはあまり眠れないけれども、
自分の場合、睡眠不足で辛いということはないみたい。
はじめの10日ぐらいはそりゃーもう、しんどかったけれど。


妊娠・出産には語られていないことが多いな、と
ずっと感じていた。
そのまま、友人に投げかけてみたりしてしまったけれど、
実母とのケンカをとおして、ナゼだかちょっとわかった。


かなりデリケートな、心の深い部分をついてしまうことが多いんだ。
実母との付き合いだったら、当然、昔のことをたくさん思い出すわけで。


思い通りにはいかないカラダや、時代背景や、モロモロの深い事情、
ふだん忘れたいと思って踏ん張って生活している人にはとくに響く。


自分はそのあたりが、鈍い。
そういうことは他人と違うのはあたりまえで、
自己管理とかいったって、不可抗力の理不尽な出来事はつぎつぎ起こるものだし、
そういうものにふりまわされるのが大前提だと思っているからかも知れない。
人によって違うに決まってる体験を話されたところで、
それが自分に向って強制されるような物言いでなければ、不快に思ったりしない。


でも、ただ、例えば、
『超スピード安産でどこも切らずに薬もつかいませんでした』
と報告すること、ただそれだけで、
傷ついたりしてしまう人がいるのだな。


自分で選んだか、選べたか、そしてそれを自覚しているのかどうか、
それがポイントかも。
カラダがものすごく短時間で激変する異常事態なだけに、
人生に及ぼす影響がものすご~~く大きいのだ。


なんでこんな大事なことを、語らずに隠してるんだろう。
失敗や残念だった思いを、つなげてゆかないんだろう。


ふと思うのはそのことばかり、
非難されるのをこわがらず、語ってみたい今日このごろ。
そしてただただ、誰もが通る道のことも、
いちいち報告してみたくなるんだな、やっぱり。


産後はあまり目を使うなとか言われるが、
乳を出す以外、読んだり書いたり・・・
エネルギーを使うとしたら、
目を使うことぐらいしか、なかなかできないのだ!


少しづつまた。