過去の失敗は元にしない

済んだことを元にして
なんど考えても
そこから行動したことは
その段階から
なかなか
出ていかない。


過去の失敗の記憶は
消去できればいいけれど、
できなければ
書き換えバージョンで
覚えなおす。

 

それは、
いまの感覚を
信じることに
つながる。


前に、ここのものを選んで
なんだか違っていた、
ということがあっても、
いまは、そこだって
進化や変化を
重ねているかもしれない。


またそこのものが気になっても、
ものが違うものだとしても、
過去の自分と過去のそこに
意識を持っていかない。


いま、気になった、
その自分を信じる。


過去だって、
信じていた?


いや、過去の自分は、
自分でない
何者かに
つかまっていたり
流されてしまったり
したのかもしれない。


あのときは、
何かをさけたい、
という気持ちや、
不安や予防の気が
それを呼んでいた。


でもいまは、
積極的に生きたい、
という気が
そこにたどりついた。


たとえば、
そういうこと。


自信は
気がつくと
そんなふうに
育っている。


同じ過ちを
犯しているのでは?
という疑いは


その過去に
向き合えないまま
それこそ、
さけていたのなら
もっと違うカタチで
のこっている。


同じだけれども
カタチが違うなにかを
転々とするようなときは
そんな感じ
かもしれない。


それが、
どんな問いを発したことからの
出会いだったのか。


わからないならば
それだけ
ふりかえる。


いまのわたしが
本当に必要としていること、
それを確かめることができるのは
そんな自分だけ。


自信は、
そんなふうに
冷静で静かなもの、
いつでもたんたんと
次につながる
いまの点、
のようなもの。


はじまりとおわり、その間、
どれにでもなれる
点のようなもの。