遠慮。


遠慮。
遠く? 遠くから? 遠くまで?


『江戸時代の刑罰』
昼間はうろつけない自宅謹慎刑という感じ。
明るいところに出てきてはいけない。
・・・これは知らなかった!


隠れる、引き退る、
まわりをみてやんわりと断る・・・


遠慮。
他人に遠慮しているのでなく、
自分に遠慮しているのではないか?


それは、手加減ともいう。


加減して、まわりと交わる。


加減しないで
そのままで
交わることを、

自分を思い切り表現して
やりあえる場を、、、

望むならば。


自分がまず
心からのびのびと
加減なく
そこに在りたい・・・


加減して誰かが仕切って
まとまってみえる場なら
いくらでも在る。
けれどそれは
その場限りの閉じられたこと。


遠慮して解ける関係なら


今は解ける方が
各々の変化(成長)に
ふさわしい状態だと


長い目でみれば
こわくない。


相手に寄ってあわせることと
相手によって
自分の表現を変えることに
境界がとれているか。


変化し続ける
生きた関係性には
遠慮はいらない。


まず、自分から。
自分を遠慮しない。
それは主張するのとも違う。
阿吽の呼吸ともたぶん違う。
自己主張などする必要なく、
相手を慮るのでもなく、
投げかけ、受けとれる関係性。
投げたものは自分の裁量で投げ、
受けとるものは自分の裁量で受ける。


計算をするなら、全体のために。
伸びてゆく方向に向かって。


自分や相手、などという
近いところで慮るのでは
のびるものものびずに
歪みやねじれが生じる。
ほんとうに必要な遠慮は、
遠い、ということが、
きっとポイント・・・