放ったら還ってくる


ふさわしいものが
別のところから
やってきた


自分で探していたときは
条件がなかなか合わなかった


無理やり、調整して
エネルギーを
かなり余分に使って
やれないこともなかった


今じゃない、と
あきらめた


いつ、次があるか
わからなかった


別の手段を
こちらから探しにいこうと
探したけれど
ちょうどいい情報は
拾えなかった


何が大事なのか


そこで得られるものを
獲得することではなかった


どうしたいか
それを使って
どう生きるのか


そこをみつめたら
必ずしもそれは
必要なものではない


まわりが納得するから、
その方がつぶしが効くから、
持ってるものが評価される扉もあるから、
、、、

すべて
外側の事情だった


若い頃は
そういうことに
頑張ることで
みつかることもあった

同時に
やらなくてよかったことも
沢山あった


気づいても
行動を変えなければ
同じくりかえし


怖くない、と
意識でみても
ずっと奥の
コワイ、が
残っていることもある


奥のコワイを
みないようにするために
エネルギーをかけていることもある


ひとりぼっちになっても
怖くない場合は
実は要注意かも


身近な人が
頑張る姿をみかけて
何か感じたら
それも要注意


人は
ひとりじゃないよ



頑なになっている人は
こわれやすいから


待つ


見捨てないけれど
離れて待つ


すがってきたら
特に要注意かもしれない


自分の心の
同じ依存心をふきはらって
断ること


自分はどうするか、
だけで断る


説明も言い訳も
ダメ出しも説得も
基本的には
必要ない


それが
作為なく
策略の気配なく
シンプルに
放てるかどうかは


日常とその態度が
つながっているかどうか
そこがフラットかどうか


地続きのときだけ
さりげなく、絶妙のタイミングで
ハッキリと
依存的な部分のみ、
断ることができる


拒絶とは違うから
受けいれる
余地がある


教えてくれたこと
渡してもらったもの
響きあった気持ち
一緒に感じた空間


尊いそれらは
なくなることはない


そのことの
ありがたさを
忘れない限りは


そうやって
お互いの存在を
尊重してわかれる

会わないとか
連絡をとらない、
とかではない


違いを認めると
違う世界が
みえてくることもある


同じでいることと
共にいることは違う


離れたから
共にいられることもある


自分を知って
自分でないものを手放せば
自分のものは
必ず還ってくる


そして再び
世界と
つながることができる