分析やさんは応援団


素直に感心して
なるほど、そうか、
ってまた、
わかっているつもりの
バカの壁
ひとつ意識的に
とっぱらうことが
できたみたい。


大学生が
卒業論文のネタに
自分のやっていることを
取材に来てくれて

その完成品が届いた。


取材の時にはまだ
どうまとめていくかの方向性も
決まっていなかったっけ。

それで彼女、
ちょっと緊張しながらも
聞いてみたいことを
率直に聞いてまわっていたな。


取材依頼の態度も
そういう姿も
真摯で好感が持てたし

そもそも、
地味で地道なテーマを
とりあげてくれたことに
すでに同士のような心持ちだったから

こちらもまっすぐ
本音を伝えることができた。


だから、その取材の時間も

ただ卒論のためだけではない、
素敵な時間になったよね、って

話し終えてから
確認しあったぐらいだ。


学生とは何度か
同じテーマで
話をしているけれど

これから社会に出る人に
自分のやっていることを話すのは

“ で、何やってたんだっけ?”
“ どうしたいんだっけ? ”

ってところの確認に
もってこいなんだよね。


そしてそれが、
今回は特に

こんな風に
まとまることになったんだな、って
予想外だったし

その視点が
ナイスタイミングで
とてもありがたかった。


完成論文が届く数日前、
そのテーマに関わることで
大きな集まりがあったのだ。


その場で整理して
自分の内に確かに意識したことを

他の人の視点と言葉で
わかりやすくみせてもらった

という感じだった。


こんなギフトとして
あの時間が活きてくるとは

人生の台本ってのは
全く、粋なことを
仕掛けてくるもんだ~ね。


あの子は、
指導教官とも、ゼミの人とも、
その他まわりの人とも、
そもそもの課題とも、

ちゃんと向きあったんだろうなあ、
っていうのが伝わってきて

自分の卒業研究の頃のことを
省りみたりもしちゃったヨ。
なはは。


フィールドワーク的に
世のなかで起きていることを探って

なにか次の扉の糸口を
客観的に見出そうとするような

そういう方法論を研究する
ゼミだったんだよね。


わたくしめ、
そういう研究の産まれた背景や

そういうことに向かう
真摯な方々の真意に

ここまできてようやっと
気づくことにもなったりしたんだ。

習って知った気になるのでなく、
自らの心身の感覚としてネ。

そんなとき、
知っていることが
使えることになる。


分析するみたいに
俯瞰でものごとをとらえようとする
自分の傾向も

元はといえば
どこからきていたのか

何をやっていたのか

はっきり意識しなおせた。


興味を持って
俯瞰でとらえようとして
つかんだなにかを

自分のカタチで
発信することが

どういうふうに
つながってほしいのか

ってトコロに

よりシッカリ
自覚を持てそうだヨ。


決まっている
彼女の春からのお仕事は
卒論のテーマには
直接関係のないことだったけれど

あの子、
いつかまた
どこかで会えるかも
しれないな~
楽しみだなぁ、ふふ。