3歳半ばすぎの雑記~ゆるして・リズム・ひらいた感覚



「ゆるして」
とニヤニヤ顔ですりよってくる。
すこしまえに、
そうか、ここでつかうのかこの言葉は、というふうに、
ハッとした顔で、
「ゆるして・・・ゆるして!」と抱きついてきて、
しばらく、何度かくりかえしていた。


昨日、散歩中、か~さんがちょっと
物思いに沈みそうになったときにもでた。
寝る前に、「ゆるして、って、どういうことだっけ?」
ときいてみたら、
「ぎゅ~~っ、ってするの」
だって。
その「ゆるす」は、ステキだ。
そういうことだよね。


しかしいつ、その「ゆるす」姿をみたんだろう。
もしくは、やってもらったことを感じたんだろう?
あんまりはっきり思い浮かばないけど。


そういうふうに、気づいて、くりかえして、
自分のものにしていくということを、
か~さんもひさしぶりに感じることができた。




子の生活にリズムが大切、と言われることと、
自分が体感で知っていることが、
ようやく結びついてきた。
くり返しが、リズムとなって、伸びてゆく・・・
そのことが。
くり返しは、リズムそのもの。
自分だってそうなんだ。
そうだった。
だから、いいのだ。
らせん階段で。
そうでないと実感できないということを、
自分が一番わかっているではないか。
どうしたって。
それでいい、ではなくて、それがいい、だ。
そこを否定して、子の育ちをどう支えようというのだ…。




一度だけみたことでも、一度とおっただけの場所でも、
こまかいことをよ~く、よ~く、覚えているボウズ。
目だけでみているのではなく、
触れていることからだけでなく、
全身の感覚で、まるごと物事をとらえているから、なのだ。
それだけ、感覚が、ひらいている。
だから、すいとるように、まわりの人から動きや言葉を覚える。
それとともに、その奥にひろがる意味も感じている。


そのことは、もっと赤ちゃんのときには、
毎日、感心して観察していたこと。
いまだってそうなんだよね。
だんだん、話っぷりも達者になって、
表現力、行動力もついてきたから、
ついつい、表に出る部分だけに注目しがちになる。
みえないところを感じる力が、か~さんにも必要だ。
そして、そういうふうに感覚をひらくことは、
か~さんも、とても好きなことなのだった。
そういう状態でいられると、
妙に迷ったりザワついたりしないでいられるのだ。


子たちのような共鳴力が、なくなったわけではない。
ただ、べつのもので、そのセンサーを固めてしまっているだけ。
センサーから内につながる回路を、閉じているだけ。


子とじっくりすごすことが、なにより、ありがたい日々。