あらしあとの透明に
すっかりおそうじされた空は透明で
とおくの富士山もくっきり、近くに感じられる。
そんな空気を、ただ、気持ちいいなあ、と感じることも、
この透明さの秘密は、どういうことなんだろう、と思うことも、
どちらにも、壁はない。
ていねいに、例をとって検証することも、
ここちよさや息苦しさを感覚的にとらえることも、
どちらも、人の営みなのになぁ・・・
もやもやした壁がとんでいったみたいな透明空に思うのは
以外にも、そんなことだった。
いっしょうけんめい、まわりに壁をたてなくても
そのひとは、もうどうしたってそのひとで。
それでも、嵐の空や、透明な空気とはつながっていて、
おなじ場所に在る。
もやもやのない、風通しのよさのなかで、
誰もがここちよく在ることができるといい。
こころに嵐がふき荒れるのも、
透明さをとりもどすためかもしれないね。