引きつがれていない同じこと



同じことなんだよな、きっと。
○○式だとか○○方だとか、
横文字だったりしてもね。


論理的でデータに基づいているようなことと
スピリチュアル系の考え方でも
けっきょく同じ事を言っているな、と思うときがある。


論理系の方法論を信じる人が、
「スピリチュアルは言い訳っぽくて好きじゃない」と
言っていたことがある。
なるほどね、と一瞬、納得させられそうになったけれど、
その人の信じる論理が妄想でないと言い切れる?
現時点で実験などを繰り返し、正しいとされていても
すぐにまた違った事実が証明されたり・・・
そんなことが毎日のように起っているではないか。


どっちだっていいんだよね。
何だっていい。
その人の背景や現実に沿っていれば。
それを軸にすることで毎日がうまくいく考え方であれば。


古くから伝わる、生活や体に関する理論や
ことわざのようなことって、
ちょっと突っ込んで調べてみると
ただ表現の仕方が違うだけだなあ~と感じることが多い。


はやりのマクロビオティックだとか
アユールヴエーダとかだって・・・


手当法だとか食養に関することは
わりとわかりやすい。


「なんかこの空だと明日から暑くなりそうだね~」
「今日はお月さまがみえないからソワソワしたんだねえ」
なんていう会話だって、不思議がりもせず普通にしていたことでは?


そういう感覚が鈍くなってしまっているから
言われてもピンとこないというだけで。


まあだから、その鈍くなった感覚で
例えば月の満ち欠けに基づく生活をしたところで、
かえって不自然になってしまうこともあるよな、とも思う。


鈍くなった感覚と思考のバランス。
これがやっかいなんだよなあ。
学びと体験をうまくとりいれて
そのバランス感覚を鍛えるしかないよね。
いろいろな方法論をちょっと引き気味で眺めることもいいかもね。
または、これ、と感じたひとつに、まずは徹底的に従ってみるとか。


その環境を子供に対して用意してあげるということが
これまたけっこう難題だ・・・。
なにはともあれ、無理はいかん、ということぐらいしか
今はハッキリわからない。


なんだか少し前にも同じようなことを書いた気がするなあ。
そこでちょっと足踏みしているってことかな。