境界線は、その時だけ



ルール。
ゲームを楽しむには
参加者全員が
それに賛同していると
やりやすい。


どうやったら
みんなで楽しめるか?
というところから
できたルールなのだから。


区切り。
線引き。
境界線。


その場にいる人や人以外が
どうやったら
過ごしやすいか、
誰かが考えて
ひくもの。


参加者や、
まわりの環境の変化に伴い
変更していけるなら
より活かされてくる。



変化にともない、
有効に変更して行くには
まず
関わる人が
そのルールや
境界線に
興味関心を持ち、
自分のものとして
考えていけると良い。


誰かに任せきりにすると
文句も出るというもの。
なぜなら
自分のことは
誰にも任せることができない。
自分のことは
しっかりと口に出して
認識した上で
時にはその自分は引っ込めたり
変更したり、
自分の意志で決めて
動くことだ。



関心がない人と
ルールについて話をしたところで
建設的な展開には
決して、ならない。


関心がある、とは、
その場にいる自分のこと、
だけでなく!
その場にいる
色々な人のことや
その場が
持続可能であることに
関心がある、ということだ。


そのぐらい、
その場を、
自分のものとして
必要としている、
ということでもある。


自分のものとして
誰かと共有のスペースを
必要とする、
ということは


自分が過ごすのに、
他の人もいることが
前提になっている、
ということだ。



それを、どこに求めるのか。


それは、
ウチとソト、という
境界線への考え方にも
つながってくる。


スペースの大小じゃない。


そういうことを
はっきりと
意識できることが


自由に
つながる。



ルールのないことが
自由ではないんだ。