ともに。



すべての争いは
ひとの上、
何かの上位にたとう、
とすることから
おこっている。


どちらの考えが
すぐれているか、
ということも然り。


ヒトが、なぜ、上にいきたいか、
自覚して、意識しているなら
争いは、その範囲内、
意識のおよぶ、
手に負える範囲内にとどまり、
競争が、その範囲内に
全体として発展する
変化をもたらすこともある。


ヒトが、と書いたのは
その、意識が問題だからだ。


意識して、意図をとばせる、
ということ・・・


ヒトにとって、
どのような意識で行動するのか、
ということは
種を飛ばすようなものだ。



こわいのは、
善意、だとか
好意、だとかに乗せて
無意識の競争意識を
運ぶことかもしれない。


ただ、それすらも
こわい、という
意識がもたらすものである。


すべての競争からおりたとき、
それが意識できて、
行動につなげるときができたとき、
ヒトは、
想像以上に
かろやかに
どこにでもいけるし、
どこにもいかなくてもいい、
そんなふうに
しばりから
自分を解き放つことが
できるのかもしれない。