あれから



22年。

なんですね。
阪神大震災から。


東日本大震災のあと
関東で、お互い子連れで、
いろいろな場を共にした
同じ学年の彼女は

東日本大震災のあと
阪神のとき
実家が被災したんだ、と
話してくれたっけ。



テレビにうつる
現場の映像が
同じ日本だとは思えなかった。


先輩にも後輩にも同輩にも
実家が関西の人がいて

少し落ち着いてから
ある先輩に
状況をたずねたとき

『オマエは何かしたんか』

と言われたその、
言葉のほんの隅っこの調子も
仕草も、漂う気配も
なぜだかハッキリ覚えている。


思えば彼はずっと
節目節目で
心に残る大事なひとことを
ストレートに、かつ
何気なく
投げかけてくれたんだよな。

そのときの
彼のそのひとこと、
そのココロは

何をしたか、というより
『何をかんじた?』
というようなことだったのでは
ないかなあ。
いま思えば。

わたしはとっさに
バカみたいに

『学校の募金箱に募金してきました!』
なんて急いで答えたんだっけ。

彼は3つ上で、
そのときのわたしは

どう評価されているのか

いつも気になってしまうような
先輩だった。


冒頭の彼女とは
短いつきあいだったけれど

短い間に
たくさん助けてもらったな。

こちらに発つ日にも
いちばんお世話になった。



阪神大震災で思い出すのは
わたしは


瞬間、瞬間の
人との交流の重み


ぜんぜん違う人生が
あるタイミングで
結び目をつくるように交錯し

その後、密に会わなかったとしても
結び目はほどけずに繋がっているような
人生の妙というかなんというか、
の、ようだ。